旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2020年12月11日

昨日私にとって衝撃的なエントリーを目にした。

父よはやく死んでくれないか - 関内関外日記

糖尿病持ちの心筋梗塞と高血圧の大動脈解離。
その差がどれだけのものかなんてはっきり言ってわからないけど基礎疾患持ちの心臓に関わる病であることは一緒か。
家族がその対象者で自分は支えなければいけないとされる立場であるということは一緒か。
内容を読んでとてもショックだったけれど、正直不快感を感じることはなかった。

今の私の立場では夫を奈落に突き落とすような発言にはなるが・・・
「はやく」が付くか付かないかは別として「死んでくれた方が家族は楽」ということには思いが至る。
夫はたぶん好きなように生きてきた。自分が思う道を通すことで私も苦労させられたということはしっかり記憶に残っている。
何度も離婚を考えたことはあるがそれでも今夫婦でいるのは「情」以外の何者でもない。
家族に対して「はやく死んで」とはとてもショッキングな言葉だけど、家族が受けてきた苦労度によってはその気持ちもわかるから不快感を感じなかったように思う。




重病で入院する家族を持つ者が「死」を望むなんて「ひとでなし!」と思われることを恐れて私は言えなかった。黄金頭さんは言った。
誰かが言ったから自分も言ってもいいとは思わないし、たぶんこのエントリー以外に今後「夫の死」を望むようなことは書かないと思う。

夫が救急搬送されて12日。鎮静下での治療は続いており意思の疎通はできていない。コロナの影響で面会も一切できない。
医師から受ける状況説明は大きく言えば手術直後と「変わらない」ので夫が快方に向かっているとは到底思えないのだ。
この状況下で「医療従事者の懸命な処置で夫は元気に自立した生活ができるようになる」とは微塵も思えないし、それどころかこのまま何か月も入院が続くことや仮に(脳死状態ではないという意味で)意識が戻ったとしても四肢麻痺・記憶障害・言語障害などの多くの後遺症を抱え、続く危険と隣り合わせの状態で介護が始まるかもしれないという不安が私の心の大部分を占めている。

それならばいっそ・・・
言葉にするしないは人によるが心のどこかで自分の不安を正当化し、「病人を長く苦しめたくない、不自由な体に苛立ちを感じ本人が死を望む日々を送らせたくない」と理由をつけながら「家族の死」を望む気持ちが生まれるのは多かれ少なかれあるんだと思う。




以前、夫婦で話したことがある。
病に倒れたとき終末期をどうするか。「管につながれて意識もない中で生き永らえたくはない」夫婦共通の意思だった。
例え明日、医師から選択を求められたとしても私は夫の意思を、夫婦共通の意思を伝えるだろう。

日々「大動脈解離」というワードで症状を検索するなかで、元気に回復している人の手記もいくつも目にした。だから夫もそうなるよう期待する気持ちは確かにある。
でも人それぞれ違うということも念頭に置き、いろんな覚悟を今している。私の言葉で夫の「生」を絶つ覚悟もしている。